尾崎隆久税理士事務所へようこそ!!

更新情報

NEW!!リーダーになったらを更新しました。 '17.4.23

NEW!!スタッフブログを更新しました。 '17.4.11

経営革新等支援機関に認定されました。 '13.12.2



スタッフブログ新着記事

豊麻神社例大祭

育児日記~療育卒園~

江之浦測候所



毎週月曜日更新



お役立ち情報リンク





4月26日~今日は何の日?~

1478年 - イタリアのフィレンツェでパッツィ家の陰謀事件が起きる。

教皇シクストゥス4世(在位:1471 - 1484年)がフィレンツェに近い要所であるイーモラを買収したことなどから、フィレンツェの実質的な支配者ロレンツォの政策と対立するようになった。シクストゥスは教皇庁の金融を担当していたメディチ銀行の地位を奪い、ライバルで同じフィレンツェに本拠を置くパッツィ銀行に委譲、これによりメディチ家とパッツィ家の対立が激化した。その後、パッツィ一派のフランチェスコ・サルヴィアーティがピサ大司教に任命されたが、今度はロレンツォは赴任を妨害した。ここに至ってパッツィ家はロレンツォを亡き者にしようと陰謀をめぐらせた。この計画はローマ教皇もある程度知っていた(黙認していた)と言われる。

陰謀は1478年4月26日、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂でのミサの席上、実行された。サルヴィアーティ(ピサ大司教)とフランチェスコ・デ・パッツィ(パッツィ銀行ローマ支店長)らがメディチ兄弟を襲撃、ロレンツォの弟のジュリアーノを殺害する。ロレンツォは傷を負うが、かろうじて難を逃れた。暗殺者らは市民にメディチ家への反乱を呼びかけるも失敗、捕らえられて即刻処刑された。パッツィ家関係者らへの報復は容赦のないもので、パッツィ家当主をはじめ100人近くが捕らえられて処刑された。

この事態に、パッツィ家と結んでいた教皇シクストゥス4世は激怒し、フィレンツェを破門し、ナポリ王国と同盟して宣戦布告した(パッツィ戦争)。ロレンツォは大きな危機に直面したが、自らナポリに乗り込み、ナポリ王フェルディナンド1世と会見を行った。この勇気にナポリ王も感心し、和平を結ぶことに成功した。

その後もしばらく不穏な状況があったが、1484年に問題の一端を担った教皇シクストゥス4世が薨去したため、事態は収束に向かった。最大の危機を乗り切ったロレンツォの支配体制は、この後、確固たるものとなった。